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第61回 顔学オンラインサロン開催報告

2024年9月17日20:00~21:30

写真の「顔」は誰の「顔」なのか


 今回の顔学オンラインサロンでは,甲南女子大学文学部メディア表現学科の馬場伸彦教授をお迎えし,「写真の『顔』は誰の『顔』なのか」というテーマのもと、メディア論・写真論の見地から「顔」について話題提供いただきました。

 ダゲレオタイプなど初期の写真が登場した19世紀半ばから、デジタル写真さらにはAIによる写真が蔓延する現在まで約200年近くにわたる写真の変遷を、「肖像写真」を中心にお話しくださいました。写真に撮られた顔とはいったい誰の顔なのか、アイデンティティの問題に対峙する時間となりました。

 表象された一枚の肖像写真には、写真を撮る者の視覚によって理想化された「顔」と撮られた者の自己同一性が同居しています。私たちは肖像写真を見るとき、背後に隠された「見えざるもの」の意味や物語を無意識に探ろうとします。人の外観を構築するさまざまな要素に思いをめぐらし、その人物のアイデンティティを突き止めようと躍起になります。「それが匿名の誰かであったとしても、読解の誘惑を禁じ得ないんが『顔』のある肖像写真なのだ」と馬場先生はおっしゃいます

 一方で顔は、私たちが他人とコミュニケーションをとり、関係を築く上で重要な役割を果たしています。私たちは、顔を見て相手の感情や意図を読み取ったり親近感や信頼感を感じとったりします。ですが、顔の読解とは、アリストテレスの観相学的観察と同様に、匿名の見知らぬ顔に象徴的な「仮面」を与えることを意味します。私たちはお互いの「仮面」をもとに理解し合っているのにすぎないのかもしれません。

 結局のところ、肖像写真において、自己同一性の拠り所となる本当の顔など見つからないのかもしれず、顔の解釈とは誰かの顔を思い起こすことと同じなのであり、「面影」を探すことなのかもしれません。 

 ただ、肖像写真というものが本来は「あなたが見たい写真」ではなく、「あなたはこうなのだ」という現実を突き付けるものである限り、肖像写真の誕生とともに生まれてきた写真イメージとセルフイメージの齟齬という問題は今も私たちを悩まし続けています。だからこそ、今どきの女子は、自撮り写真に加工を重ねて編集を行い、どこまでも「他撮り」を忌避するわけです。

 その結果、現代の肖像写真は、自撮りによる「あなたが見たい写真」だらけになってしまいました。オリジナルを持たない複製可能な情報として流通するイメージがデジタル空間に溢れています。もちろんそこにはその人らしさ、個性などあり得ません。こうして私たちは顔から奥行きをなくしてしまったようです。(「奥行きをなくした顔」については、馬場先生と米澤の共著『奥行きをなくした顔の時代-コスメ・自撮り・SNS』をご参照いただければ幸いです。)AIによる肖像写真はその象徴と言えるでしょう。

 今回は、時間の関係で質問およびディスカッションの時間を十分にとれませんでしたが、非常に興味深く、示唆に富んだ内容のオンラインサロンとなったと思います。現代の「顔」について改めて考える機会を与えられました。馬場先生をはじめ、ご参加いただきました皆様に感謝申し上げます。ありがとうございました。


記:米澤 泉


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